京都御苑 猿ヶ辻
『鬼門除け』
ほんま普通に、一般のお家でも鬼門を避けて家を凹ましたり、
その角に白砂を敷いて清めてたはるのを見たことありますでしょ。
朝廷も、京都御所の北東の角の築地塀を折り曲げて鬼門を除けたはったんですね。
その守りということで、日吉山王のお猿さんが軒下に鎮座したはります。
その守護役のはずが、夜な夜な軒下から飛び出しては、悪さをしはったらしいんです。
あんまりその悪さがひどいもんやさかい、とうとう金網を張られてしもて、
閉じ込められはったんです。まあ、これも自業自得ちゅうことで、しゃあないですはな。
なんやら京の都も、鬼門除けに二重三重の守りがしたはるようで、
御苑の北東にある「幸神社」、平安京の北東にある修学院の「赤山禅院」、
さらには、「比叡山延暦寺」もそうらしいです。
鬼門ちゅうのは、そないに怖いもんやったんですね。
小学校のころは、この鍵形に曲がった溝のところが、また魚取りのええポイントで、
手網を持って、よう走りまくってました。
幕末には、物騒な血の雨も降ったんですな。
姉小路公知はんが暗殺されて、それが世に言う「猿ヶ辻の変」。
お~ぉ、こわ!
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