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2006年06月24日

京都御苑 清水谷家の椋

京都御苑内の京都御所の西南角・玉砂利の広い道のど真ん中、
道いっぱいに幹を広げて”とうせんぼ”した恰好で、居座っている大木がいます。

京都御苑 清水谷家の椋






















それが「清水谷家の椋」。 地図はこちら

その椋(むく)の木を、季節の移り変わりと一緒に観ていきたいです。


京都御苑の地図。
黄色の丸印の位置で、この椋の木は今も「とうせんぼ」しています。

余談ですが、
京都御所・仙洞御所などは宮内庁、京都御苑は環境庁、京都迎賓館は内閣府の管理です。

京都御苑 清水谷家の椋















































デデ~ンと、ほんとに「とうせんぼ」ですね。

京都御苑 清水谷家の椋





































現在は、この写真の左手約100mに、有名な蛤御門が烏丸通に面して建っています。
蛤御門といえば、幕末に「禁門(蛤御門)の変」の主戦場となった場所で、
長州藩兵と会津・桑名・薩摩の諸藩兵とが、京都での主導権争って激しく戦いました。
(因みに、手前の砂利路面にうっすらと線が横切っていますが、これが例の「御所の細道」です)

京都御苑 清水谷家の椋























この当時・江戸期、蛤御門は烏丸通よりもっと東、この椋の木のすぐ西に建っていたようです。

京都御苑 清水谷家の椋久坂玄瑞とならび、猛烈な積極派であった来島又兵衛は、
壮絶な戦いの中、胸を鉄砲で撃ちぬかれ、
もう助からないと悟って喉を突いて自害しましたが、
その場所が、この椋の木の近くだったとも伝えられています。

誰も気付かずに居ますが、ひょっとするとこの椋の木の幹の中に、
鉄砲の弾が何発か打ち込まれたままになっているんじゃないですか。
← クリックで拡大!

この地図は、享保2年(1717年)の作図です。江戸・三大改革の「享保の改革」で有名な元号ですよね。

クリック拡大地図の中の赤色で示したところに、確かに「清水谷家」の名称が見られます。
蛤御門もすぐそばにありますね。

他、赤色でチェックしているところは、
五摂家の近衛・九条・鷹司・二条・一条家のお屋敷を示しています。
「冷泉家」のお名前も見られます。
現存する最古の公家住宅で重要文化財にも指定されています。
時代が明治になったとき、
ほとんどの公家は天皇に従って東京へと移り住み、お屋敷も取り壊されましたが、
留守居役であった冷泉家(上冷泉家)はそのまま残り現在に至っているのです。


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